返信が遅れて申し訳ありません。
(1)甫庵は信長記を書くにあたって、「牛一の不備を補完する」と断っていますが、17〜19日の問題については、甫庵が改めて考証したというのではなく、牛一本『信長公記』をそのように読んだというだけのことでしょうから、甫庵信長記の信憑性がますとは思えません。
美濃出身で前田家の家老・横山長知が、自分の茶飲み話からネタを仕入れて出版されてしまったことを悔いていたという話もあるようですから、甫庵の底は浅いものと思われます。大久保彦左衛門などは、「うそが多い。三分の一はあったことだ。三分の一は似たことがあった。三分の一は全くなかったことだ。」と『三河物語』で評している。
(2)甫庵は、「私が、殿を引き付ける」などと言ったと書いたとは思えません。
簗田出羽守が信長に戦に勝てる理由として挙げたのは、「是は後陣へかかり合ふ間」ということであり、なぜその様だと義元を討ち取れる機会があるのかというと、「其陣を易へからす」だと言っているわけですから、義元は後巻した本陣に居り、駿河勢は布陣の再編成ができていないから、その先鋒隊は救援にも間に合わないだろう、だから「唯急かせ給へ」と言っているのだと思います。